ノンフィクションが必ずしも真実ではないのは明らかですが、小説に比べれば真実は多いでしょう。
東日本大震災について、英国人ジャーナリストが迫った本書は、期せずして日本人の忍耐とそれを強いる社会をも浮き彫りにしました。
東日本大震災は、かつてない災害でしたが、もし、あの災害のことを一度でも想定・経験できていたら、被害はもっと少なくできていたかもしれません。
特に、福島第一原子力発電所と、大川小学校では…。
本書は、大川小学校に焦点を当て、その悲劇と被災者の苦悩が書かれております。
宮城県石巻市の大川小学校。
地震のあと、児童たちは運動場に50分近く待機させられ、避難を始めた1分後に津波に襲われました。結果、児童78人のうち74人、教職員11人のうち10人が死亡するという、学校での事故として戦後最大の犠牲者を出す惨事となりました。東日本大震災における学校管理下の児童・生徒の死亡者は75人とされ、そのうち74人が大川小の児童になります。異常な数字です。
なぜ犠牲になったのでしょうか?
学校の裏には小学生でも登れる小高い山があったにもかかわらず、川沿いの危険な場所へ避難したのはなぜでしょうか?
そして、震災後にこうした疑問を解明しない動きがあるのはなぜでしょうか?
私自身、長い間、これらの疑問を持ち、震災直後からネットの記事を追っていましたが、本書を読み、疑問への一定の回答を得たと考えております。
真実であるかどうかはわかりませんが、裏山に逃げないと主張した者がいる。それは教師の中にもいたでしょうし、地元の老人にも、そのような主張をしていた方がいたとのことです。そして、こうした地域では老人の意見が強いとも読み取れます。
震災後の真相究明への対応の悪さは、責任問題からの回避があげられます。
ただ、もしかするとそれだけではないのかもしれません。
本書には記されていませんが、生き残った教師が、震災時に何をしていたのか。
校長は震災時、在校していませんでしたが、その人物像。
いつか、こうしたことにも、正しい光が当たることがあるかもしれません。
ところで、本書は、津波の霊たちとなっております。しかし、オカルトの本ではありません。震災直後から東北での幽霊話が出てきたのは、おそらく幽霊を見る側の、亡くなった人と会いたいという気持ちが、幽霊を見させていたのだろうと記されております。
生き残った人の心を救う方法としての幽霊。そういう考え方もあるということです。
また、冒頭で忍耐を強いると書いたのは、家父長制の強さが色濃く残るとの描写がありました。裏山に逃げることを阻止した文化、地元の方の意見に従ってしまったのは、一部そうしたところから出てきたのかもしれません。
亡くなられた小学生のお母さんに焦点が当たりますが、家父長制の中で忍耐を強いられている場面もあります。
本書を読んでいただくと、被災者の苦しみは、被災者の数だけあり、それぞれ形が異なり、それゆえ、また新しい苦悩が生まれていることがわかります。
悲しみが複層的であり、解決の方法はひとつでないこともわかります。
うまく伝えることはできなかったかもしれませんが、皆さんに読んでいただければ、それぞれの心の中に、それぞれの思いが残ると思います。
アトラン