少し前のことになるが、年末の休み中にふと時間ができ、オーディオブックを聞き始めようと思い立った。
特にキャンペーン期間でもなかったが、手始めにAudibleをダウンロードしてみた。
もともと読書とは活字を目で追うもの、という固定観念が強かったが、意外にもすんなりと、耳から本を楽しむ習慣が身についたので、その感想を綴ってみる。
ちなみに、読書会の他のメンバーの体験談はこちらから。
さて、まず率直な感想として、本を読み終えるスピードがめっきり早くなった。
本を買うために書店に行ったり、電子版をダウンロードしたりする手間が減っただけではない。
本を本棚から取り出して、お気に入りの姿勢で座れる椅子まで歩いていって、さあどこまで読んだっけとページをめくって、出てきた知らない表現を調べたいけどスマホをカウンターに置き忘れたから立ち上がって取りに行って…という煩雑な動作がなくなっただけでも、本に向き合うハードルが下がった。
読み終わった本の数がどんどん増えていくのは、正直に嬉しい。
ただ、話題になったあの本読めるかな?と探してみても、ヒットしない場合も多く、流行った作品すべてが聴けるわけではなさそう。
(町田そのこ「52ヘルツのくじらたち」や、岩崎夏海「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」は2025年1月現在、検索しても出てこなかった。)
さて、Audible を初めて2週間、私はこのような本を読んできた。
手始めに、青崎有吾「地雷グリコ」と、宮島未奈「成瀬は天下を取りにいく」、シャーロット・ブロンデ「ジェーン・エア」を読んでみた。
最初の2つは、話題作としてすぐ頭に浮かんだためだ。
また、もともと古典文学作品が好きな私は、意気揚々と「光文社古典新訳文庫」とAudibleアプリの検索ウィンドウに打ち込んでみるも、あえなくヒットせず。
仕方なく、「イギリス文学」と入れてみた検索結果で(思ったよりヒット数は少なかった)、まだ読んだことない作品を聞くことにして「ジェーン・エア」を選んだのだ。
小説や文学作品は、ナレーターが会話文を臨場感持って音読してくれるため、テキストを目で追いながら読むよりも、情景がありありと目の前に浮かんで楽しい。
それと比較して啓発本は、耳から流れてくる朗読の声が、途切れずに頭の中に入ってくるため、立ち止まって考えることができないのが難点。
また、漢字を目にすれば理解できても、音声で聞くと漢字変換ができず、理解に困ってしまう表現も出てくる。まあそれもご愛嬌なのかな、と諦める。
その点、啓発本として最初に読んだ、田内学「きみのお金は誰のため」は工夫されているのか、すぐに理解しやすい文体や構成でAudible初心者にとってはありがたかった。
とはいえ章のタイトルはまだしも、小見出しや注釈、参考文献も本文と同じ調子で読み上げられるのも最初は慣れなかった(外山滋比古「こうやって、考える。」ではかなり苦労した)。
小見出しごとにチャラリンと綺麗な音楽が挿入されているものもあったので(三宅香帆「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」など)、ぜひ全作に適用してほしい。
いろいろと難点はありつつも、自分一人で家事をこなす時や、身支度の時はAudibleが良きお供になってきている。
ただ、車の運転中(慣れてる道でも道路状況には集中したい)や、子供のお世話の時(何かと乳幼児の世話をするときは泣きわめかれてしまう)に聞けることも期待していたが、案外そうではなかったのは残念。
それでも、一日の中でこんなに隙間時間があったのか!と驚いている。
暇さえあればBluetoothイヤホンで音声を流し聞いてるようになってから、そういえば、今日一日で、見たこと聞いたことを考えて、ふとした思いつきにめぐまれる「無」の時間がなくなってきているなあ、と思うようになった。
Audibleで半ば強制的に本を流し聞くことで、インプットが増えていくのはありがたい。が、内容を定着させて自分の血肉にするには、なにも聞かない時間も意識的に持たねば、とも思う。
といいつつ、冊数という数字を稼ぎたいがために、スマホを開くとついAudible の再生ボタンに手が伸びてしまうのは、しばらくやめられなさそうである。
HARU